Sunday, November 22, 2009

41 クリスマスとチャリティ

  この時期になると、イギリスはチャリティの嵐が吹き荒れます。キリスト教徒ならでは、というのか、チャリティ(慈善事業)は盛んです。11月の*「ポピーディ」からそれらしき雰囲気がたちこめ始め、12月に入るとクリスマス月はチャリティ月。 日本じゃ、師走はせんせいたちが走り回るが、イギリスじゃセレブリティどもが忙しくお金あつめ?
 施しの月。プレゼントを交換したりするのもその一環でしょうか。恋人や家族に施す?自分のチャリティ精神をつちかうため。キリスト教精神にのっとり、かどうか、持てるものは持たざるものに与えなくてはならんのです。特に歴史的にイギリスの貴族は持てるものの特権として、持たざるビンボー人にお恵みするのが尊い!そしてそれが義務と思われてきました。
 BBCのChildren in Need というテレビ番組を見ました。歌や芝居やのショー番組で病気の子供たちの治療費用を集めようというもの。生まれながらに重い病気で病院に入ったままの子供、内臓の移植が必要な子供など。有名歌手やタレントたちがエンターテイメントし、お金を送ってね、と呼びかけ、電話やオンラインで寄付金を視聴者に募ります。会場にも地方から参加の方たちが駆けつけ、いくら集まった、と報告し、いやでも、募金精神をあおります。これがけっこう集まるのですね。みな、すごい。
 街角のサンタも「募金サンタ」「慈善サンタ」が多くなり、サンタクロースの衣装に帽子をかぶったひとたちが、バケツを持って地下鉄の出入口などに立っています。ときどき、何のチャリティなんや?というのもいますが。
 Oxham というハイストリートにも店を構えているのはチャリティのショップで、古着や雑貨などを安く売っています。反対に自分のいらないもの、不要品を持っていって売ってもらうこともできます。もちろんチャリティなので、買ってはくれません。ドナー(与える人)が無料で提供するわけです。
 バンドエイドを覚えていますか?
 けがしたときに貼るやつとちゃうよ。Band Aid.
 アフリカの飢饉、飢えで死んでいく子供たちを助けるために、イギリスのロック歌手やバンドが協力して、一大セレブリティ楽隊をつくり、レコードの売上金を寄付したという。1984年というから、今から20年まえです。
 Do they know it’s Christmas time ? (アフリカの子供たちは)今がクリスマスだって知っているのだろうか?という歌がヒットしました。ジョージ・マイケル、ポール・ヤング、フィル・コリンズ、U2 のボーノ、デュラン・デュラン、ボーイ・ジョージ。。。なつかしい80年代の面々。20年後の今年2004年に、またボブ・ゲドルフが大将になって新しいバンドエイドを再結成。メンバーはほとんど変わっていてこのごろの若い歌手もラップ歌手も参加しています。わたしは、良く知らないひとたちが多いんだけどさ。
 再結成の経過をドキュメンタリで放送したり、宣伝したり、してました。
 アフリカでは食べ物が足りなくて毎日多くの子供たちが死んでいく。なんのすべなく死んでいく。彼らに必要な食べ物を買うためのお金を寄付してください。このCD を買うことであなたもこの運動に参加できるのです。売上金はすべてアフリカの子供たちへ。
 うつくしい。確かにうつくしい発想。みなの協力を得るいい方法。CD を買うことでその精神に協力できる。でも。
 あまりにキリスト教精神と思ってしまうのです。持てるものが持たざるものに与える、という。批判的なひどい言い方をすれば、自己満足。与えてやった。お金があるから与えてやれるのだ。そんな自分に満足。非キリスト教信心者にとって、キリスト教信心者がやってくれることをありがたいと受け取れるのでしょうか?そんなことを考えず素直に受け取るべきなのでしょうか?
Do they know it’s Christmas time at all ?
Do they know it’s Christmas time again ?
 と問われても、None of your business ! とわたしなら返事してしまいそう。あんたのしったこっちゃないよ。
 それに、クリスマスってなにさ?って言われないかなあ。
 それだったらクリスマスだけじゃなくて、いっつもずーっとやっていてよ。
 自分は寄付したんだ、と幸せになっても、その幸せが受け手の幸せと同じとは限らない。わたしが言いたいのは、自分の判断で考えを押し付けても、それがそのひとにとっていいことなのか。いい、悪いって、どこで判断する?
 もちろん、寄付してチャリティ(慈善)するのはいい。でもそれが えんぎ・演技(Performance) や ぎぜん・偽善(Pretender)になっていないのかどうか?ぎもんです。
 バンドエイドが商業的で偽善だ、と言っているわけではありません。でもおたくらの豪華な衣装やら、所有物を少しセーブして寄付すればいいやん。売上金はみんな寄付するといってもCD 売れたら自分たちの名声にもなるやん。生きたコマーシャルやん。
 と皮肉っぽく裏の裏まで考えてしまうのは素直な性格とはいえないんですかね。
 わたしたち凡人にできる身近なチャリティといえば、ユニセフやチャリティのクリスマスカードを買うとか。飛行機の中で「不要なコインを封筒に入れて乗務員にお渡しください」くらいですかね。自分のことも満足にできないのに、ひとの世話まで。。。しかもお金がからむと恥ずかしながらしんどいなあ。
 イラク処理(処理なんていうのもへん)もそうです。アメリカの「大時代的まとめてやる」政策では自己満足、自己中(心)といわれても仕方ない。
(アメリカが)「イラクを近代化せねば」(だれがするんや)
 None of your business !
 第2次大戦後の日本のようなわけには行かないわけです。日本人はまあ、つつましい人種やから、アメリカ大国のいいなりになってよかったかもしれんけど。だから、いまでもその後遺症を引きずってるのかもしれんけど。
 ほっといてもどうしようもない、とは思いますが、武力に勝つには武力しかなくなってしまうでしょう。イスラム教精神としても。いまだに終わらないうらみつらみの2重塗り、3重塗り。血で血を争う無駄な戦争。パレスチナしかり、イラクしかり。
 平和には平和で対抗するしかないと思います。
 すごい抽象的で大時代的になってきたからもうやめよう。別にここでわたしの政治思想を**愚だ愚だお話したいわけでもないのです。
 みんなの平和について考えたいだけで、この大きなギモンに明確な回答や解決策があるとは思えませんが。ひょっとしたらキリスト教国にいると、クリスマスシーズンには他人さまのことを考える機会が増えるのかもしれない。というポジティブな結論で締めくくることにします。 
 他人のことを考える、イコール自分のことを考えるのですね。みなさま。1年の回想。締めくくり。そういう月ですね、12月は。

<筆者・注>
*「ポピーディ」
11月11日、戦争犠牲者を弔う日です。活躍した退役軍人たちが戦火で命を落とした
同僚たちをしのびます。みな、赤いポピーを胸につけ、さながら赤十字のようです。
**「ぐだぐだ」にしようとして、「愚だ愚だ」ってでちゃった。
 この変換、気に入ったのでこのままにしておきます。ぐだぐだ、って口語かなあ。

2004年12月18日                    
© Mizuho Kubo , All rights reserved…..December, 2004

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