Saturday, November 21, 2009

13 イギリス人とは?

 イギリスは移民の国。
 ロンドンはコスモポリタンの街です。街を歩けばイギリス人でないひとたちに(日本人を含め)ぶちあたります。朝起きて、郵便屋さんが来る。届けるのはパキスタン系のひと。駅の改札にはアフリカ系黒人の係員。キオスクで売っているのはインド系のひと。スーパーに行けば、中国人・タイ人系のキャッシャーも目に入る。
 バスになんて、乗ってみ?観光客もさることながら、聞こえてくるのはスペイン語・イタリア語、アラブ語?日本語。およそ、わたしの関知しえない言葉まである。地下鉄よりバスに乗っている間の方が、ラテン系言語がよく聞こえると思うのは偏見であろうか?
 今回は、ちょっと、いや、だいぶ偏見が入っとるかもしれんけど、お許しを。わたしは平和主義者です?
 それでは、イギリス人とはなんぞや?
 そもそも、純単一民族島国根性のわたしたち日本人の常識から考えると、同じ島国なのですが島国のよしみでイギリスの国民性を理解するのは難しいでしょう。このごろは国際結婚だの、観光で訪れるガイジンさんが多くなったの、ましてや、ワールドカップで全世界からフーリガンたちを迎えにゃならん、日本では、単一民族しているわけには行かなくなってきた感があります。
 日本で「日本人」と言えば。
 「外観(黒い眼、黒髪、目鼻立ちのかたちなど、ガンクロ(もう~ふるい?)茶髪は除くとしても)」「日本語を話す」「日本の教育を受けて、日本の文化を理解している」
 これをいわゆる英国人に当てはめようとすると、つっかかります。
 外観。典型的な英国人の外観って?なに?髪の色はいろいろだし、眼の色だって違うし。もちろん、背格好でもコレって一言では表現しえない。
 英語(クィーンズ・イングリッシュ)を話す。そんなエゲレス人はどこさがしたら一体おるんや?! BBC のアナウンサーでもなまっとるで。NHK 大阪の比やないんですよ。これが。ある日テレビのニュースを見ていて、アメリカの特派員がしゃべってるんや、と思って聞いていたら、なんと、ダブリンの人でした。ごめんね。別にアイルランドをばかにしとるわけではないが。これまた、イギリスとアイルランドの関係も書き出すと10枚!くらいになるので。次回。
 英国の教育を受け、英国の文化を理解している。外国人でもできますわな。ここ(イギリス)で生まれ、イギリスの学校にある一定期間行けば。
 こちらのツアーオペレータなぞに電話すると、訛りだらけの英語人が出てきます。会社名を言えば向うは、こっちが日本人ってのは一目(あ、いや一聞)瞭然。わたしも負けずに「じゃ、あんたは何人?」と聞いても、イギリスに住んでいて、イギリスのパスポートを持っていたらそれは「イギリス人」。見るからに真っ黒な顔をして、インド訛りの英語をしゃべるジェイミーも「お父さんがインドから渡ってきて、ぼくはここで生まれた」ならイギリス人。
 ホセはいかにも濃~い顔付きであるが、お父さんスペイン人。お母さん、イギリス人。お母さんの妹はオランダ人と結婚していて、そのオランダ人のご亭主のルーツは、北欧。イタリアに叔母さんがいて。。。というのもめずらしくない。
 「あなた、なにじん?」と聞かず「オリジンはどこ?」と聞かねばルーツは不明。
 このごろはわたくしもエゲレス生活長いんで、隣国などに遊びに行って、「なにじん?」なんて聞かれてもすっと「日本人だよん」とは答えられない。「日本人、だけど、ロンドンに住んでる」となります。
 ヨーロッパのひとって、「わたしはなにじん」って観念があまりないのでは?もちろん、国ごとに特徴、個性はあるし、愛国精神で、フランスが、とかイタリアが、とか言いますが。北野かほる氏(突然ごめんね)がイタリア人について非難?されておりましたが、やつら(あ、またお上品してしまった。失礼)も結局、イタリア人である前に、ヨーロッパ人、というかローマン人なのでは。なぜスペインにドイツ風の絵画があるか、とか。中世の王侯貴族の婚姻関係などを見ていると、イギリスもそうですが、歴史の流れとはいえ、ハプスブルグの繁栄はまさに婚姻による血族の拡大。ミュンヘンが舞台でも、イタリア語の中世映画は考えられる!見てなくても、伊太利亜語が独逸人にあわないってのは非常に考えられる。
 思うに、あの有名なヘンリー八世の最初のお后キャサリンはスペインから来て、いったい夫婦は何語でしゃべっておったのじゃろか、としもじものモノは興味深いです。ま、うえうえの方々は会話する必要なく、order  なされば良かったのかもしれませんが。また、さすが、ご教育を受けられた妃は晩年は達者な英語で日記をつけられていたということです(余談)。
 この前マドリッドに行ったときに訪れた宮殿でも、スペイン王がオーストリアから后を迎えただの、アングロサクソンとラテンの混合ってのが、なんともおもしろいです。だからこそ、ヨーロッパってひとつなのかなあ、と思ったりもします。
 マリー・アントワネットも10代で結婚したときにはフランス語にてこずっていたとか。賢母・賢妃のマリア・テレジアの教育むなしく、と言ったところでしょうか。
 ことばの話はまた別の機会に10枚くらい???できるかもしれませんが、陸路で(まあ、むかしは陸路しか仕方なかったでしょうが)輿入れできるほど近い距離にありながら、この狭いところにこれだけの違った言語と民族の国がばらまかれているのも不思議です。
 コロッセウムはローマのイタリアのものだと思っていたのに、フランスでもドイツでもどこにでも円形劇場はあり(規模はちがいますが)、フレスコ画が個人的に好きなのですが、同じようなのが、ラヴェンナで、ヴェネチアで、ポンペイで。また、イスタンブールでヴィザンティンの文化として見ると、こんなとこまで、こんなときまで、ローマ時代は存在していて、この異常とも言えるフレスコ画捜しで、というか、偶然行くとこ行くとこにフレスコ画がついてくる時期がありました。これって偶然なのか、必然なのか。わたしは遠い遠い昔、日本人として生まれる前はローマ人だったのではないか、と思ったりもします。ふふふ。
 イギリスも、もともとローマ人が侵略してきて、紀元前ローマンの都ロンドニアムをテムズ河の北、今のシティのあたりに建て、それが今のロンドンのルーツになっています。
 でも、イギリスって国は自分をずっと「ヨーロッパ」だとは思っちゃいません。決してヨーロッパと自分を含めて言うことはなく、「大英帝国とヨーロッパ」もしくは「大英帝国と大陸」なのです。「大陸」とは「ヨーロッパ」。すなわち、海峡の向う側ですの。しかし、あっちは「大陸」でも自分のことは「島」とは言わん。 でも、「大陸」を動かし、ヨーロッパを牛耳るのは英吉利だと思ってる。独逸、仏蘭西と覇権を争いながら。
 結局、凡人はみな、「人間」という範疇に入るだけで、なに人でもなに語をしゃべっていても、基本的にはそう大差ないのかもしれませんけどね。ということでなにか、簡単な結論?になってしまいましたが、このテーマはまだまだ他のテーマからでも角度を変えてまた、別の機会にも見てみたいものです。

2002年5月22日                  
© Mizuho Kubo , All rights reserved…..May 2002

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