Sunday, December 19, 2010

番外編 トスカナ 叙情 2003

なぜ、叙情なのか?お読みくださいませ。

 ピサに降り立つと雨だった。ロンドンは晴れていたのに。冬はどこでも寒くて雨模様なのか。ピサの町は斜塔とドゥモの色のイメージでマーブル色。黒と白の縞格子がうつくしいコントラスト。
 闇の中に着いたルッカは城壁もそのまわりの緑の樹木もインクを溶かしたような暗闇の中では色を感じることはできない。その闇の中に突然、金色の光りの列が現れる。クリスマスのイルミネーションなのだ。これは反対に闇の中でしか味わえない光りの踊り。城壁に囲まれたこの小さな町のメインとおぼしき小さな通りのそこここに「おめでとう(アウグーリ)」「新年2003」と言った光りの輪が瞳の奥に残像となっていつまでも残る。

 朝の自然の、しかし、弱い冬の光の中で再度見直してみると、それはやどり木のかたちの電灯だったりするのだ。昼間は緑、しかしてそれが夜にはきんいろに変色する。
 イギリスだけでなく、暗い冬のヨーロッパにはこういうものが必要なのだ。クリスマスを冬にしつらえたのはいったい誰の知恵だろう。
 キリスト生誕の模型やおもちゃの展示が小さな村の教会で見ることができた。子供連れの親子が楽しそうに眺めているのを見るだけでほほえましい。この時期、どんなひとでも聖人になれる。戦争やいがみあいという言葉さえ、薄くなる。毎日が平和な感謝を持って過ごせるひとばかりであればいいのに。敬虔な気持ちになるクリスマス時期のヨーロッパ。

 シエナはフィレンツェから陸路約1時間半。丘の上にある城壁のまち。黄色い壁が中世の残像そのままに雰囲気によくあうことに気づく。シエナ色とはこのまちの色。これからこのことばを聞くたび、わたしはシエナの街を、この色を思い出すだろう。中世の館が窓の装飾と続く窓枠の色に揃えられて連なっている。広場の色もあるようだ。パリオ(中世装束に身を包み、騎馬でパレード)の時期には一躍スターとなる、カンポ広場。わたしが見たのは年の最後の日の祝いの残像、シャンパンのコルクが浮かぶ、ガイアの噴水だったが。広場の周りをレストランがおおいかぶさるように連立していて、その夜は大晦日を祝う人たちでいっぱいだった。レストランは予約必須。大晦日・サント・シルベストレ用の特別なメニューしかない。レストランの窓から、広場でやっているニューイヤーコンサートの音楽を聴きながら、コース料理に舌鼓を打つ。ときどきわきあがる歓声。音楽はずっとお祭り状態。もちろん食事が終われば歩いて帰れるキョリに宿をとったが、人ごみの中を歩くのはまさに繁華街を歩いている状態。普通に歩けば5分のキョリも、なかなか一歩が進めない。まるで世界中のひとがシエナに集まってコンサートを楽しんでいるのかという状態だった。
 翌日は打って変わって、ひとのいない冬空の下、広場に、コルクの残像だけが残されていた。

 盆地の底に、でもきわだっているひとつの町。イタリアの町には必ず広場(ピアッツア)があり、迷路のような路地がある。この山奥の盆地ならなおさら、迷路はつくられたというより自然の創造物。迷路のまわりにひとが住まいを建てたかのようだ。ひとの色もあるかもしれない。空気の色もシエナという街を吸い込んでしまっているかのようだ。
 このあふれんばかりの美術品は、絵画は?絵画人たちは膨大な宗教画を残し、建物を装飾している。シエナ派であろうが、フィレンツェ派であろうが、どう違うのか?同じようにキリスト教に殉教し、天に向かい、祈りを込め描き出した偶像。すべて町を彩る装飾品のひとつにすぎない。ここで論議の余地はなく、ただただ、佳人の残した世界的遺産をめでる機会を現代に得たことに感謝するのみ。この建物、広場、建物の中味、装飾品、すべてが遺産。残すべし、後世においておくべき番人の遺産。町そのものが、岩のかたまりでさえ、そう思う。
 

 ジェノアは昔の栄華いづこ、退廃に海の色を溶かして染めたような町。前世紀の遺物のような建物が大通りを威圧する。今はミュゼオになっている昔は貴人の邸宅だったであろう、イタリア建築の粋。通りを一歩入れば木々のさざめきが聴こえそうな。
 大通りを一歩入れば迷路のような、行き止まりのような小道に迷い込む。つんとして、観光客のみを受け入れる館とはうらはらに、そこだけが庶民の生活が肌で息づく場所。昔からのお菓子やさんや、屋台のような洋服やさん。迷路と階段。街灯と石畳の路。かくれんぼしようよ、さあ、見つけてごらん、と町に言われているようだ。

 いっときの中世の時間をかいま見、北イタリアはまだ紳士淑女の住処に違いない。ジェノア大国の名残の大海港都市なのであろう。波止場もすれた雰囲気はまるでなく、大型客船や貨物船が行き交う生きてる港なのだ。

 M先生 注)
 ウェブスターの英英辞典によると、siena 色というのはイタリアのシエナから出る土の色から来たもので Raw siena は黄身がかった茶色、burnt siena「焼きを入れたやつ」は赤みがかった茶色だそうです。シエナ色、っていう響きがいいかな。わたしの勝手なイメージでは、インクを溶かしたような墨色って気がしてたんですけど。

解説>なんて自分で入れてみよ~かなあ。
 ルッカはオペラに詳しくなる前に行ったんですが、プッチーニの生家がある城壁の町です。博物館になっています。当時は何もわからず、トスカのポスターを買いました。蝶々夫人は聞いたことあったかなあ。そんな程度。

 いまや、プッチーニのオペラはいくつも観ました。トスカ・話の筋もわかります。アリアも知ってます。今また行ったらもっと面白いだろうけどね。おいしいレストランがあったのを覚えてます。場所も多分わかる。。。。やはり花より団子か。

 デジカメの時代でないのでプリントした写真はどっかにあるはずですが。。。でも、わざと写真は入れません。わたしの文章から絵を想像してもらえればうれしいなあ。無理かしらん。

☆ 旅行は 2002年12月29日から翌1月5日
             
すぐ番外編に出すつもりがえらい埋れていました。
ちょっと、小説風にしてみたかったんだろな。

 どんどん昔へタイムマシーンしているわねえ。
 いちおう、記録として、自分で記憶をたどり、書き下ろししてみました!
 旅行が12月だったし、雰囲気で12月に入れてみましたわ。


© Mizuho Kubo , All rights reserved…..…..December, 2010

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